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扇子 ご購入ありがとうございます

更新日:2022年7月11日

2022年6月

揮毫 菊地雪溪

扇子制作 京都 老舗扇子屋 白竹堂



扇子をご購入いただいたお客様に気に入ってもらい大変嬉しく思います。

このサイトに掲載することにご了解をいただいた一部の方々の製品をご紹介します。

ご指定品とは、揮毫する文言をリクエストしていただいた商品です。



神奈川県川崎市 N 様

▪︎ 飾り扇子「 伯符 」  ご指定品


  塗り仕様

  

お子様の名前に有名な中国の武将の名を命名されました。

裏面に、ご本人、ご両親、父方祖父母様、母方祖父母様のお名前を揮毫しました。









【 商品案内メッセージ 】

「 伯符 」の名は後漢末期の武将、孫策の字 西暦175年〜200年

三国志で知れ渡っている呉の皇帝 「孫権」(周瑜と共に赤壁の戦い[208年]で有名)の兄

書聖と謳われる王羲之が活躍した150年ほど前の人物

孫策(兄→長男を伯ともいう)と孫権(弟→歳の離れていない次男を仲ともいう)はまさに実力伯仲と言える才能に溢れる兄弟であった


大切なお子様の名前として文字の持つ力を意識し緊張感を持って取り組みましたが、暫く検討を重ね、名前の由来などを踏まえ、顔真卿の祭姪文稿をモチーフにして創作しました。どなたが見てもわかりやすい文字、また印象的に一本筋の通った、かつ柔軟さを持えち合わせたイメージを持っていただけるように揮毫しました。お名前に添えた遊印は「 柔剛 」と書かれております。伯符様の健やかなご成長を祈願しております。




神奈川県 横浜市 渡邉様

▪︎ 扇ぎ扇子「 花 見事にサキヌ 」

 

  唐木骨 両面書き 左表、右裏



【 商品案内メッセージ 】

出典:心偈 柳宗悦


花 見事ニ咲キヌ

  誇リモセデ

 

ヤガテ ウツロイヌ

  ツブヤキモセデ


柳宗悦が存命中、病で療養しているときに多くの方々から花を贈られたそうです。そして、その時に感じたことを心偈の中に記載しています。

「その美しさは私の眼を慰めてくれたが、そこに宿る真理は、更に私に教えてくれた。どんなに美しくとも、自らを誇らぬ花は、やがてうつろい枯れてはゆくが、一言も呟くことがない。人間の生活も、このようん坦々たる花にあやかりたいではないか。花は散り、人は死す。花は静かに散る。ただ散る。人も何とかこんな散り方をしたい」

何とも言えない、深く心に響き、気持ちも鎮まりますね。まさに真理をついています。そいう言えば、私のガーデニングの師匠(庭師)の沼田裕二氏も、「花は人に何も期待してない。人は勝手に花に期待し過ぎている」とおっしゃっていたことを思い出します。




長野県 H 様

▪︎ 扇ぎ扇子「 世の中の習慣なんて 」

 

  白木骨 両面書き 左表、右裏



【 商品案内メッセージ 】

出典:高村智恵子のことば


世の中の習慣なんて どうせ人間のこしらえたものでしょう

それにしばられて 一生涯自分の心を偽って暮らすのはつまらないことですわ

わたしの一生はわたしがきめればいいんですもの

たった一度きりしかない生涯ですもの


画家津田青楓(日露戦争にも従軍、夏目漱石や河合肇とも交友があり、良寛の書も

良く研究した)が画学生時代の智恵子の言葉を捉えた断片。「愛と命のメッセージ」

(二本松教育委員会発行、北川太一、上田裕子執筆)より。明治の終わり、光太郎に

出会う頃の智恵子が放った言葉で、揮毫は上記全文からの抜粋です。




東京都世田谷区 須長様

▪︎ 扇ぎ扇子「小さな出来事」(吉野弘)


白木骨 彫細工




【商 品案内メッセージ 】

出展:小さな出来事 吉野弘


雨が上がり

雲がゆっくり流れてゆく


吉野弘の小さな出来事という詩の中の一節です。この詩には、「生きることには 言いようのない悲しみがある」というくだりがあります。少女の一人が農作業の際に降った雨に紛れて涙を流しました。そして雨のシャワーでその目を洗い流しました。さりげなく。誰にも知られなくても人は他人に言えない何かしらのものを抱えています。雨はいつか止み、その後雲は去ってゆくものです。人生も自然の有り様に例えられるのかもしれません。





千葉県香取市 小山様

 ▪︎ 扇ぎ扇子「 心はいつでもあたらしく 」

  白木骨



【 商品案内メッセージ 】

出典:高村光太郎のことば


心はいつでもあたらしく

毎日何かしらを発見する


高村光太郎が発し大田中学校のために揮毫されたとのことです。若い人達に向けた切実な願いが込められています。光太郎のこの言葉と次の言葉と、合わせて私が感銘を受ける、若い世代に伝えたいことばです。


精密計測機器メーカー ミツトヨの創業者、沼田恵範のことば

「 ものづくりの前に人づくり 人づくりのために良い環境づくり 」

   ・・・良い製品は良い人から作られる

柳宗悦のことば

「 今見ヨ イツ見ルモ 」 「見テ知リソ 知リテ ナ見ソ」


畢竟、どうやって作るかより、どう生きるかが大切と思います。箱書きの裏に上文一言添えました。


*小山氏、2021年10月21日のご自身のブログにて本作品をご紹介いただきました。ご覧ください。

[ 高村光太郎連翹忌運営委員会のblog ]




東京都町田市 S 様

 ▪︎ 扇ぎ扇子「 益者三楽 」 ご指定品 


  白木骨 



【 商品案内メッセージ 】

出典:論語 季氏 第十六 五


益者三楽。損者三楽。

楽節禮楽、楽道人之善、楽多賢友、益矣。

楽驕楽、楽佚遊、楽宴楽、損矣。


益となる楽しみに三つあり。損となる楽しみにも三つあり。

礼楽を整える、他人の長所を述べる、賢い友人が増えることを楽しむと、益である。

身勝手に驕り、怠けて遊び回り、気楽に贅沢することを楽しむと、損である。




大阪府泉南郡 西浦様

 ▪︎ 飾り扇子「 夢 」  ご指定品

  塗り仕様







  









【 商品案内メッセージ 】

夢が現実となる話はよく聞かれます。仮想が現実に刷り込まれ具現化されたものとも

言えます。意識下でも無意識下でも創造の結果が現実であるとすると、現実とイメー

ジとはいずれが先でどちらが本当の世界なのかふと考えさせられたりします。説明は

無粋ですが案外イメージの世界が真の世界なのかもしれません。

「夢」を揮毫する時、書体は行草体と決めておりましたが、心に素直に向き合い想念

から現れたこの書は、私の手から離れて新たな空間に存在するのだと愉しく想像して

おります。右に遊印「柔剛」、左に「溪」の字を押印しました。



【 追記 】

上部右側の絵は、西浦氏所有の絵画で高村智恵子研究をライフワークにしている画家

の坂本富江氏の絵です。智恵子が入院中の東京にある病院の窓から、故郷の安達太良

山の連なる風景を想像したであろうというイメージを描いたものです。西浦氏は秀で

た光太郎研究家で共に著書も出版されております。ご参考までに下記に紹介します。













東京都板橋区 K 様

 ▪︎ 扇ぎ扇子「 世の中の習慣なんて 」

 

  唐木骨 彫細工 両面書き 左表、右裏












【 商品案内メッセージ 】

出典:高村智恵子のことば


世の中の習慣なんて どうせ人間のこしらえたものでしょう

それにしばられて 一生涯自分の心を偽って暮らすのはつまらないことですわ

わたしの一生はわたしがきめればいいんですもの

たった一度きりしかない生涯ですもの


画家津田青楓(日露戦争にも従軍、夏目漱石や河合肇とも交友があり、良寛の書も

良く研究した)が画学生時代の智恵子の言葉を捉えた断片。「愛と命のメッセージ」

(二本松教育委員会発行、北川太一、上田裕子執筆)より。明治の終わり、光太郎に

出会う頃の智恵子が放った言葉で、揮毫は上記全文からの抜粋です。




東京都東大和市 松下様

 ▪︎ 飾り扇子「 大盈若冲 」(右上)


  塗り仕様



 ▪︎ 扇ぎ扇子「 山是山 水是水 」 (下)


  唐木骨 両面書き














【 商品案内メッセージ 】*大盈若冲

出典:老子 第45章


大成若欠 其用不幣

大盈若冲 其用不窮

大直若屈 大辨若訥


本当に完成したものはかえって欠けている様に見えるが、いくら使っても駄目にならない。

大きく満ちているものは何もないように見えるが、そのはたらきは尽きることがない。

真っ直ぐなものは曲がって見え、誠の上手は下手に見え、誠の雄弁は訥弁に見える。



【 商品案内メッセージ 】 *山是山

出典:禅語


山是山水是水(表面)

山は山として、水は水として各々その本文を全うしている。


無一物(裏面)

本来無一物が元の言葉。人間は何も持たない裸で生まれて来て、何も持たずに逝く。

肩書きも地位も生きている間にたまたま纏ったもので、そのような仮の姿に

振り回されることのないように、自分の心と目で見極めて生きる。




東京都品川区 M 様

 ▪︎ 扇ぎ扇子「 小さな出来事 」


  白木骨




【 商品案内メッセージ 】

出展:小さな出来事 吉野弘


雨が上がり

雲がゆっくり流れてゆく


吉野弘の小さな出来事という詩の中の一節です。この詩には、「生きることには 言いようのない悲しみがある」というくだりがあります。少女の一人が農作業の際に降った雨に紛れて涙を流しました。そして雨のシャワーでその目を洗い流しました。さりげなく。誰にも知られなくても人は他人に言えない何かしらのものを抱えています。雨はいつか止み、その後雲は去ってゆくものです。人生も自然の有り様に例えられるのかもしれません。





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